引っ越し完了

 日一日と、春が近づいています。櫻の花も、ちらほら咲き始めています。
 4月があともう少しでやって来ます。でも、それは、そのままドリコムブログとのお別れの日がやって来ているということでもあります。

 お世話になったこのブログとも、もうすぐお別れしなくてなりません。
始まりは、務めていた大学の入試広報ブログでした。2004年3月のことでした。世間では、まだ「ブログって?」という頃でした。

 2007年4月まで、ドリコムでお世話になった我が大学のブログは、その後独立してドリコムを離れました。大学からは各自ドリコムブログを店じまいするようにと言われたのですが、面倒くさいのと寂しいのとで、ズルズルと今まで閉じることもできないまま、3年が経ちました。

 「卒園式」ネタのおかげか?毎年3月になると、一日のアクセス数が200を超える日もあり、この3年間ほとんど更新していないにもかかわらず、通算のアクセス数は、11万件を超えています。本当に有り難いことです。

 7年間という、ブログとしては長いお付き合いをさせていただきましたが、このドリコムブログの閉鎖をもちまして、このブログも閉じたいと思います。なーんて考えも頭には浮かびましたが、ライブドアが引き取ってくれるっていうので、すでに、そちらに引っ越し完了しております。リダイレクト機能がうまくいかないので、もし興味のあるかたは、ライブドアブログを訪ねてみてください。

 ちなみに、大学の方のブログも閉鎖するということです。こちらの方も、寂しい限りですが、時代の流れというものです。淡々とお別れしましょう。

 では、みなさん、またあいましょう。

講演会の話4

 再開はしてみたけれど、ブログの更新はなかなか前のようには行かず、「ありゃ、今日も更新できなかった」とため息をつく日々が続いていく。"再開おめでとう" なんてコメントが来れば、よっしゃ頑張ろう、という気にもなれるのだろうが、未だ、文字通りの「ノーコメント」状態。モチベーションは低空飛行のままである。どこかに上昇気流は吹いてないだろうか。

 講演会も、早くも一ヶ月以上過去の話となってしまった。今日はもう10月2日である。僕の話を聞いた生徒たちの日常には、もはや僕の話題はあがることもなく、きっと彼ら彼女たちは淡々と高校生活の日々を送っているに違いない。話した僕も、大学の後期が始まり、毎日授業と事務仕事に追われている。なんだか、8月31日あの市民会館大ホールで過ごした1時間半の時間が夢の中の出来事のように思えてきた。というか、僕が勝手に妄想しているのではないかと思えるほど、記憶の向こうに追いやられつつある。

 講演自体は「世界を論じようとした二人」という題目で、僕が専門に研究し、それなりに論文も書いている荀子という思想家と、中学時代から尊敬する人物という欄には必ずこの人の名前を記している、『史記』を残した司馬遷について、話をさせてもらった。荀子という思想家は、世界にある全ての事柄を知り、それを論じることを人生の目標とした人だったこと、司馬遷は彼が生きている時点までの世の中の出来事を記述することで、時間と空間から成立する世界を表現したんだ、というような話。高校生にこんなふうに世界に対峙した(実際の講演では「立ち向かった」という表現を使ったけど)人間がいるんだということを聞いてもらいたかった。

 もともと講演の内容は、今日聞いて明日から役に立つようなことだけはやめてくれと頼まれていた。あと、結果的に自慢話に聞こえてしまう成功譚もやめてほしいという要望だった。ある意味で、役に立たないような話をしてくれないか、という依頼だった。この依頼内容は、僕にとってはもっとも有りがたいものである。もともと、僕がやっている研究などは「役に立つ」という観点からはもっとも遠い位置にある。また、そもそも僕は成功者ではない。「役に立つ」とか「成功」などという金の匂いのする言葉とは縁遠い人間なのである。僕ができる自慢は、人からすれば恥ずかしい話の部類になるはずの「やんちゃ話」しかない。5月に最初に依頼の電話をもらった時に、コーディネート役の先輩は上記の2点を強調された。でも、それだけで僕はこの話を引き受けたわけではなかった。

 この依頼の半年前に、ある出来事があった。出来事というほどの大げさなことでもない。ある夢を見たのである。目覚めた後まで記憶に残る夢を見ることなど、年に2~3回しかない僕が、今でも鮮明に思い出せる強烈な夢を見たのである。何らかの形で自分が卒業した高校に30年ぶりにお世話になるかもしれないなと予感させる夢を、ある冬の日の朝に見ていたのである。(つづく)

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母校の第2グラウンド。覆い焼き&焼き込み有り。

講演会の話3

 連載にしておいて、すでに2回で続けるのがめんどくさくなってきたが、誰か読んでくれてるだろうから、頑張って書いていく。

 講演をした8月31日の前日、コーディネート役の先輩と打ち合わせをすべく、午後から母校を訪れた。校舎の前までなら何度も出かけたが、実際に校舎の中に入るのは、おそらく20年ぶりぐらい。そこで待っていたのは、校長先生への挨拶。というか、校長先生からの挨拶。恐れ多くて、というか、もともと権威が嫌いな性分だから、校長室なんて入り難い。でも、まあ大人になったことだし、ちょっと挨拶して、と校長室を訪問。一見、やせ型の方で、神経質そうな感じがしたのだが、お話しをしてみると、とても気さくな先生で、あることで意気投合もしたし、なによりも「この校長先生は、きっといい人だ」と思えた出来事に遭遇した。

 講演会は、前にも書いたが文化祭のオープニング行事。母校の学園祭は、初日が市民会館を借り切って講演会と音楽発表と合唱コンクール。二日めが校内でいろんな催し物や模擬店などが繰り広げられる文化祭。最終日が大盛り上がりに盛り上がる体育祭、というスケジュールで行われる。出来事というのは、その模擬店のチケットを持った生徒が、直接、校長室に売りに来たことである。校長先生は、ごく日常的なことのようにチケットを購入された。この一事で、この先生はきっといい人だと思った。僕の高校時代、校長先生は日常生活に存在しなかった。この校長先生は、きちんと生徒の日常に存在している。それだけで、もういい先生だと思えたのである。

 打ち合わせということで、今度は職員室に連れて行かれた。高校時代、ほとんど良い思い出などない場所である。全くないと言った方がよいかもしれない。ぼくがそれなりに良い思い出を持っている部屋は、大好きだった英語のおじいちゃん先生がいた就職相談室みたいな部屋と、三年の時の担任が常駐していた物理準備室ぐらいだった。職員室なんて、高校三年間の滞在時間は通算10分もなかったのではないだろうか。職員室の真ん中で、今度は教頭先生に挨拶をされ、次々と先生方に挨拶をされた。恐縮、恐縮、僕はそんなあなた方の挨拶に適う人間ではないのに、逃げ出したい気持ちが湧き上がってきた。

 この日の僕は、先輩に会うぐらいだと思って、なおかつ先輩からも「畏(かしこ)まらなくていいから」という言葉をもらっていたから、ジーンズに開襟シャツ、髭も剃らずというラフさ。先生たちは勤務なさっているわけだから、ちゃんとした格好。「服装の乱れは心の乱れ」とかいう標語を思い出さされて、ますます恐縮至極。ただ一人、先輩の短パンにポロシャツというラフさに助けられた。そのうち、いろいろな思い出が蘇り始めて、僕が職員室でわけのわからない昔話(悪戯ごと)をはじめたところで、先輩曰く「やっぱ、外出よう。あしたの講演、まともに聴いてもらえなくなりそうだ」。

 でも、この時連れて行ってもらった喫茶店。なんとお寺の住職がお寺の敷地内でやっておられるお店で、住職の大好きなブルースがかかっていて、また、お店の其処此処に古いカメラが置いてあった。当然ながら、打ち合わせは簡単に済ませ、あとはカメラ談義に花を咲かせてしまった。お店を出るときには、マスター(住職)と握手まで交わしてしまうほどの、よいお店だった。また帰省したときにきっと訪れるはず。

 そこから市民会館大ホールを下見。記憶よりも狭かったが、定員は1000人を超える。今まで話した場所で1番大きな会場は、駒○大学で行われた学会での400人教室。初日の午後二番目というゴールデンタイムで、400人教室で立ち見も出るという状況での学会発表だった。用意した250部の資料が足らず、会場側があわててもう200部刷り増して少々残部が出たので、聴いてた人はちょうど400人ぐらい(当然、空席もあった上での立ち見ですから)だった。もちろん、この人たちは僕の話が聞きたくて集まったわけではなく、学会に出かけてきた人々が一番聞きやすい時間帯に、たまたま僕が話していただけ。明日は、この大ホールに高校生が約700人、先生や父兄を足せば800人ぐらい集まるらしい。

僕は、できるだけ内緒にこの講演をすませようと思っていたから、きっと知り合いは少ないはず、と踏んでいた。しかし、今、16~18歳の高校生の両親たちは、それに30を足せば、ドンぴしゃ、僕の同級生±1年の人たちである。案の定、当日の会場には、少ないけれど同級生たちが訪れて来たのだった。(つづく)

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